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平成12年1月30日
 ここ数年、香港と澳門返還と相次いでの年であった。
 香港はイギリスの侵略の犠牲となり99年間も主権を踏みにじられ、澳門も欧州列強の侵略の犠牲逢って、漸く4百年の後の昨年、中國に返還されたのである。
 日本は欧米列強の狭間に在って、漸く時勢を切り抜けた感があるが、東南アジアで列強の侵略から独立を堅持し得たのは、奇しくもタイ國だけだったと聞き及ぶ。
 敗戦後の日本は欧米賛美一辺倒の感じがするが、今一度近世欧米列強の歴史を振り帰って見るのも良かろう。
 澳門回帰吟二絶  シンガポール 張済川(架橋)
四百余年租約存,庸驚嘉靖明帝昏。更怜光緒嗟丁亥,永久治権哀失根。

欣聞港澳璧回帰,統一台澎廬漢畿。正気浩然今奮発,鵬程九万祝雄飛。
公元
1535年,明嘉靖14年乙未歳,葡萄牙(ポルトガル)租澳門
公元
1887年,清光緒13年丁亥歳,翻新旧的,清室充其永遠管理澳門。

慶祝澳門回帰 河北省 啓愚
両制鮮花開正妍,神州十億笑声喧。山山水水皆春色,更有豊年在后頭。

 

12-2/11

 今回は、地図で見ても判るように、内蒙古は大陸のど真ん中だが緯度から見ると、日本の青森辺りに相当する。

 日本では遠く離れた内蒙古の情報は乏しいが、作品を読むと多少様子が判るような気がする。これが国際交流の利点である。

内蒙古  揚鳳趾  杏花

笑沐東君送暖輝,陽春二月早開菲。

繍然未識寒香意,也以情真暗比海。

 

同人  桃花

三月枝頭初換妝,紅顔沈酔暁風香。

只因笑映佳人面,惹下閨門詩幾行。

 

同人  梨花

信綻香雲花簇稠,直疑瑞雲圧枝頭。

芳魂不愛紅黄紫,只靠清白勝一箏。

 

同人  農民企業家

瀟洒郷翁首半華,西装革履去来車。

当初壟上全能手,今日農民企業家。

 

同人  訪養?村

聞道山中盛産?,観光無處不??。

郷人陪訪争相告,眼下無家不有機。

 

 

12-03/13

今回は市内の方の作品を紹介しよう。

旭翠先生とは、小畑先生の詩号。旅先では飛行機・枕下は云うに及ばず、奥さんに気遣って、トイレの中で作ったとか!

  不羨梅妻   市内 今田菟庵

旭翆先生常想詩,枕辺機上厠中怡。

曾游伴婦欧州宿,未得埋毫昏暮辞。

浴室長留欲独醒,愛人短慮誹相離。

詩心操志難雙立,不羨梅妻林逋時。

 

今田菟庵先生の作品に応酬して  市内 小畑旭翠

恭依韵和今田菟安先生不羨梅妻一律

妻評曰我詩“三日雪”春雪更積一尺,韶光消融只三日,夫君詩興還同的。

六義未成常敲詩,風騒巴調俗難医。

行吟嘯虎猫声嬾,拈韵騰龍蛇蛻垂。

吾妻評曰三日雪,先生点額一身咨。

女功苦口無阿従,聊答終生愛我痴。

妻が云う。今田菟庵先生は貴方の作品を誉めてくれるけど、その自信も春の雪の様に、三日しか保たないね!

 

 唱歌を漢詩に置き換えた作品。新しい手法と言える。

唱歌“朧月夜”「陽韵」  市内 高橋香雪

菜園暮色帯斜陽,四望山容烟景蒼。軽暖春風留落日,黄昏淡月野花香。

菜の花畑に入り日薄れ 見渡す山端露深し 春風そよ吹く空を看れば 夕月懸かりて匂い淡し

 

12-04/14
 今回は漢詩交流の一端をご披露しよう。
 今月の初めシンガポールに観光旅行をした。普通なら名所旧跡を見て、日本の延長上のまま帰ってきてしまうところだが、漢詩が仲立ちとなれば、先方の人と交わる機会が容易に作れる。
 半日を割いて、シンガポール新声詩社の同人と懇談会をした。漢詩を仲立ちにすれば、世界人口の四分の一を占める華人と容易に交流が出来るのだ。

写真 前列左より 新声詩社現会長 筆者 新声詩社前会長 日本シンガポール会員一同 場所 シンガポール高島屋内龍珠軒飯店

 
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12-05/07
五月末日掲載原稿
 今回は、今までとは違った趣向の作品を紹介しよう。
 これは〈集句〉と云って、既にある色々な作品から、拾い出して一つの作品を作る手法である。
 だから当然沢山の作品を知らなければならない。日本で漢詩を少し囓った方が、他人の句を一寸失敬して、填め込む人が居るが、軽四輪に大型トラックのタイヤを取り付けたようで、却って無様になってしまう。然しそれなら其れで、全句借り物で作れば、それなりに評価される作品となります。
浣渓沙 竈頭渚感吟(集前人吟)   江蘇省 陸永祥
門隔花深夢旧游,(呉夢窗)
紅橋風物眼中秋。(王漁洋)
可知世事有沈浮。(梁節庵)
更欲放船何処去?(杜茶村)
無辺絲雨細如愁。(泰少游)
労人只合一生休。(納蘭性徳)

浣渓沙 恵山秋飲(集前人吟)   江蘇省 陸永祥
一巻離騒一巻経,(清:呉藻)
喚君同飲小窗明。(宋:陸游)
一簪華髪可憐生。(宋:曹伯啓)
対酒当歌須話意,(宋:王懌)
不須談笑話功名。(金元:段克已)
一般杜宇両般聴。(宋:呉存)
この作品は「詞」と云って、漢詩ではありません。集句のマナーとして借り先をハッキリと書くことです。

 

12-6/10
松戸森公園観禽台    市内 今田菟庵
莽莽填亭望野鳥,青青招夏氾林泉。
辟鵜率雛移求餌,母字数兒探戻淵。
却億人間多殺子,徒知藪澤似尋仙。
留枝翡翠瞠魚影,断続啾啾是杜鵑。

もうもうと木々の填まる亭で野鳥を望んでいると,木々は青々と夏らしくなり、林泉は溢れている。
カイツブリは雛を率いてあちこち餌を求めて行き,母鳥は子の数が足りないのに気づいて淵の方へ戻ってくる。
それに比べて人の世では我が子を殺すことが多いと云うのは,心は貧しいのに分不相応なものを求める事に似ては居ないのか。
枝に留まったカワセミは魚影を見つめ,切れ切れに悲しく鳴くのはホトトギス。

 今回は地元の方の作品を紹介しよう。21世紀の森、観禽台から見た鳥達の姿です。でもこの詩の本旨は鳥の生態ではないのです。「比」という叙事法で今日の家庭問題・青少年問題を投げかけているのです。鳥の生態を述べて読者に親子の関係を改めて思い起こさせ、「却億人間多殺子,徒知草境似尋仙」ところで今の人は子供を殺すそうだけど、と人の世界を提示します。

 このたったこの句だけと云うのが実に効果的な構成となっています。これ以上に成りますと、却って趣旨が散漫に成って仕舞います。この作品は「時事」に属します。

 

 

12-7/12
 今回は、同じ文字を幾つも使った作品を紹介しよう。
 漢詩を少し囓った人なら、漢詩には同じ文字を幾つも使ってはいけない!と云うことを聴いたことがあるだろう。もう少し正確に言えば、「同じ意味の文字を知らずに使ってはいけない」と云うことだ。
 次に紹介する作品は承知の上だから一向に差し支えない。
始めに、一二三四と数字を入れた作品です。此は次韻と云って、詩を貰ったら詩で返すと云う、何とも優雅な交遊では有りませんか。
次韻顧欽雍先生玉作
一几一亭一盞傾,兩心兩人兩書生。
三春三教三寧楽,四友四恩四苦輕。
この基になった作品です。此方は一ばかりです。
原玉 江蘇省 顧欽雍先生
一觴一硯一心傾,一字一珠吟一生。
一壑一丘情一縷,一来一往一身軽。

 次に天津の九才兒の作った“僕の小船”と云う作品です。
我的小船    天津 羅琳(九歳)
一条小河曲曲湾湾,一片樹葉飄落水面。
一本の曲がりくねった小川,木の葉が一枚水面に落ちた

一片花弁颶落水面,一只蜻蛉落在水面。
一片の花びらが水面に舞い落ちた,一匹のトンボが水面にいる。

一只胡蝶落在上面,阿 阿 小船小船。
一匹の胡蝶がその花びらの上に舞い降りた,ア ア 小船 小船。

 

12-8/8
 選者の詩友で上海に96歳に成られる大先輩が居る。毎月、投稿が有り、編者はWeb頁に掲載する。中國語を日本語漢字に打ち込むのは、成れているとは云っても間違いも多い。ここからが敬服する処だが、打ち間違いがあると次の手紙には正誤案内が書かれている。50歳を過ぎると、煙たがるけど、96歳にしてインターネットを楽しんでいるという。本当に驚きだ!
 編者が提倡した漢字文化圏通用詩歌を投稿してくる。好奇心がとても強い。
坤歌四首   上海  張聯芳
地震
最可哀,山崩地裂,苦天災。

水災
浪發狂,軍民搶救,保堤防。

空難
御風行,飛騰失控,盡傷生。

車禍
時有聞,傷於市虎,會人驚。

瀛歌
與古韵 曄坤瀛偲 詩体論 異於俳漢 格調獨存
創今風 漢字文化 短歌通 拓出新徑 暢書真情
老残躯 久臥病床 累吾妻 甘心情願 相伴不移
思已過 勿掲彼短 心安楽 虚懐深處 涵養大徳
向人習 莫顕已長 勝静逸 細心思考 求得真知
註:新短詩創作のテキスト、希望者には送料ご負担下されば無償で提供します。

12-8/18
  西湖景語四首録一 岳王墳  林林 北京
万民愛岳飛,千古奇冤「莫須有」,活該油炸檜。
岳飛愛し千古の冤ぞ「でっち上げ」
さもこそ呼ばめ檜油揚

 西湖は中国屈指の景勝地である。この詩は西湖の名勝を詠んだ四首の中の一首。武将で愛国の詩人としても名高い岳飛の墓を詠んだもの。十二世紀に入ると宋王朝は遼、金、元と北方民族の侵入に悩まされ、遂に空前の繁栄を誇った首都開封を金に占領されて西湖畔の杭州に退く。南宋の始まりである。岳飛は度々金軍を破り武名赫赫たるものであったが、講和派の秦檜に謀反の意思ありと陥れられ捕らえられて殺された。
 この詩は五七五で創られた漢俳で、一九八〇年大野林火をを団長とする日本俳句訪中団の歓迎席で生まれた詩型。「?南地方で油条の事を油炸檜と謂う。檜は秦檜のこと」との註が有る。油条は中国人が朝食に食べるパンの油揚げの事である。莫須有は中国語で「でっち上げ」の意。活該「だからそうだ」の意。
 林林先生は今年九〇歳を迎える中国詩壇の最高峰。中日友好協会の副会長で有り、日本の短歌俳句界にも多くの交友を持つ。この九月十六日葛飾吟社は、林林先生の求めに応え、北京で「迎接新世紀中日短詩交流会」を開く。(今田 述)




12-10/13
 詩歌は時代を写す鏡と言われている。然し日本での漢詩愛好者の殆どは古典詩が対象だから、現在の時勢を読みとることは出来ない。然し現在の詩詞を読むなら現在のことが判る。この作品は、中国国内紙に掲載されていたものだ。この詩から読みとれることは、中国もこの頃は随分と政府批判が公然と言える事と、何処にも無恥狡猾な役人は居ると言うことだ。
地税局成“逃税局”   信息大観報載文
収税的人把税偸,執法的人把賄受。
管銭的人公款○,有権無奸不可信。
 税務署の役人がこれでは困りますねえ!

法庭収取“援刑賛助費” 楚天都市報載文
刑事犯罪増不減,援期執行是根源。
量刑条款伸縮大,暗箱操作很方便。
法官筆下能生花,有銭重犯可軽判。
既読人情又來財,管他世道乱不乱!
 裁判所の役人がこれでは困りますね!

 紙面の余裕があるので、簡単な漢詩を紹介しよう。漢詩は難しいと思って居たけど、此でも漢詩?そうです此でも立派な漢詩です。中国詩壇何処へでも通用します。
曄歌  秋雨微 屋根小雀 二三四
     小学生 赤青黄色 秋雨冷
坤歌  祝電話 左思右想 爺婆煩
      老夫婦 這箇那箇 退職金

 

12-11/11
 日本には古代から現代に至るまで女性の文学作品は沢山ある。然し中国に於いては、古代は殆ど皆無で、現代でもそれほど多くはない。

 中国社会では結婚しても女性の姓は実家姓の儘で、夫の姓になることはない。これは近頃日本で謂うところの夫婦別姓とは基本的に異なり、女性の地位が低いので、夫と同姓になれないと謂う仕組みである。

 さて前置きはこの位にして、今回は女性の作品だけを集めて掲載しよう。

三十初度  湖北省 呉叔存 女  30歳の誕生日

年交而立欲何求,志在詩山覓自由。溌墨揮毫寒暑易,硯田耕種奪豊収。

この年に何を求めようと謂うのか、志は詩歌の中での自由を求めたい。筆を揮えば寒暑も易く、硯の中から豊かな収穫を得るのだ。

太華松  陜西省 裴智 女

扎根険阻隙岩中,冠盖穿雲払碧空。歴歴往来車馬客,幾人認得太華松?

根を険阻な岩の隙間に差し込んで、雲を貫き青い空に頭を出している。ひっきりなしに往来する車馬があるけれど、一体何人が太華松に気が付いて居るだろうか?

易しい漢詩を紹介しよう。(こんなに簡単でも中国詩壇に通用する定型詩歌です)

曄歌(俳句に相当) 二首 迎接新年  東京  齋川正二

迎元日 淑酒把杯 賞早梅

新世紀 欲航激流 奈百憂

 

坤歌(川柳に相当) 一首         東京 齋川正二

政無効 諛私傲公 来天狗!!