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曄歌における三字句の構文をめぐって

石倉秀樹

 中山先生が提唱した曄歌の漢語三字句は、それを構成する漢字の意味さえ知っていれば、漢詩や漢文の読み方をよく知らなくても、そこに何が書かれているかを読み取ることができる。

 しかし、その「ざっくり」とした理解を、日本語に翻訳しようとすると、かえってわかりにくくなってしまう。「月」「明」「輝」の三字を例に、それを考えてみる。

この三字で考えられる三字句は、次の六通りである。

月明輝
 月 明るく輝く。
 「明」は「輝」を修飾。

 月 明るくして輝く。
 「明」は月を主語とする述語。「輝」も月を主語とする述語。

 月の明るきが輝く。
 「明」は名詞としての用法。

 

月輝明
 月 輝いて明るし。
 「輝」は月を主語とする述語。「明」も月を主語とする述語。

 月の輝き 明なり。
 「輝」は名詞としての用法。

 

明月輝
 明月 輝く。

 明なり 月の輝き。

輝月明
 輝く月 明なり


 月の明るきが輝く
 輝ニ月明一と読む倒置表現。

 

輝明月
 明月 輝く。
 輝ニ明月一と読む倒置表現

 輝いて明るき月。

 

明輝月
 明るく輝く月。


 明なり 輝く月。



 要は「明るい月が輝いている」、あるいは、「月が明るく輝いている」というだけのことなのだが、漢語では6通り、それを日本語に翻訳すれば、13通りの読みになってしまう。13通りに加え、他にも読みがあるが、ここでは、とりあえず13通りとする。

 漢語を翻訳するのではなく、最初から日本語で書く場合、作者はおそらく頭に最初に浮かんだ文を書く。13通りの表現を思い浮かべたうえでどれがよいかと思い悩むことはまずない。そこで、上記の13通りは、あくまで論理上のことであるし、どの表現をとるにしても伝えるべきことに大差はない。つまり、「ざっくり」と理解してもらえばよいということからは、日本語の13通りも漢語の6通りも、どれでもよいから作者が書きたいように書けばよいということになる。しかし、それが詩歌のなかの一句ともなれば、ああでもない、こうでもないと作者の頭を悩ますのが、日本語ではないだろうか。

 しかし、漢語の曄歌の場合は、古典詩詞の韻律に即して書く、という前提に立てば、日本語の詩歌の場合のように「ああでもない、こうでもない」とあまり悩まないですむ。「月」「明」「輝」のどの字を韻にするかによって、また、平仄を考慮することにより、構文がおのずと決まるからだ。

a.晩風微。梧桐葉落,月明輝。
  晩風 微なり。梧桐の葉落ちて,月 明るく輝けり。

 この作は第1句と第3句で押韻することにした。第1句の韻が「微」であるので、第3句の候補としては、「微」と同韻の「輝」を句末に置く「月明輝」と「明月輝」のニ句が必然的に選択される。

 さらに、2句と3句を律詩や絶句の七言句の韻律にあわせて作ることにすれば、第2句「庭桐葉落」の平仄は「平平仄仄」であるから、第3句の平仄は「仄平平」でなければならない。

 そこで、平仄が「仄平平」の「月明輝」を選ぶ。「明月輝」の平仄は「平仄平」で、ここでは不都合。

b.晩風微。院落蛩鳴,明月輝。
  晩風 微なり。院落 蛩(こおろぎ)鳴いて,明月 輝けり。

 この場合は、第2句「院落蛩鳴」の平仄が「仄仄平平」であるので、第3句は「仄仄平」あるいは「平仄平」とするのがよい。そこで、「明月輝」を選び、「月明輝」とはしない。

c.晩鐘声。梧桐葉落,月輝明。
  晩鐘の声。梧桐の葉落ちて,月の輝き明らかなり。

 この作は上記aの第1句を「晩鐘声」に改めた。韻字が「声」。そこで第3句の句の候補としては、「声」と同韻の「明」を句末に置く「月輝明」と「輝月明」のニ句が必然的に選択される。第2句の平仄から、「仄平平」である「月輝明」が選択される。

d.無眠夜。幽庭蛩語,明輝月。
  眠り無き夜。幽(くら)き庭の蛩語,明るく輝く月。

 夜(ヤ)と月(ゲツ)は古典韻では別韻だが、現代の普通話韻では夜(ye4)と月(yue4)と同韻である。ここでも、押韻と平仄の必然から、「明輝月」を選ぶことができる。なお、「輝明月」は、平仄は「明輝月」とまったく同じだが、第2句第3句を七言とする場合(幽庭蛩語輝明月)、「蛩語が明月を輝かす」という読みも考えられる点に無理があるので、採れない。また、句としては、「明輝月」ではなく、「天明月(天にあかるい月)」あるいは「天輝月(天に輝く)」とした方が上作と思えるが、これはまた別に論じるべき問題である。

 曄歌が対応する日本語の俳句には平仄や押韻はない。そこで、作者の頭に幾通りかの句作りが浮かんだ場合、そのどれがよいかは、おそらく作者自身がその句を何度も読んでみていちばん語呂のよいものを選ぶことになるのだろう。あるいは、内容で選ぶかもしれない。

  しかし、そのどれを選ぶかは、作者が自身の詩才を信頼したうえで、自分の責任で決めることになる。それだけ作者の恣意的な言葉の選択が句に反映される余地が、曄歌に比べて大きい。

 曄歌の場合、(ただし曄歌作りが中国古典詩の作法に従うという前提に立っていればではあるが、)そのいくつかの言葉の候補のどれを選ぶかは、平仄と押韻の要請という必然性に基づいて決めることができる。言葉は作者個人のものではない。読者のものでもある。そういう普遍性のなかで、平仄と押韻は、万人が、言葉を響きよく共有できる法則である。

  このことを思えば、日本語の俳句は、言葉の選択に作者の恣意が反映されやすいので往々にして独善的な句作りになりやすいが、曄歌は、何を書くかなどの半分は自分で決めざるを得ないにしても、響きをどう調えるかなどのもう半分は、読者と共有できる韻律に従属して句作りをしていくのだから、言葉に対する作者の態度は必然的に謙虚になる。

  そこで、中国古典詩の作法に則った曄歌作りは、言葉は一方では作者個人の恣意のもとにあり、また一方ではみんなのものという普遍性のなかにあることを、より如実に感じ取ることのできる世界であると思える。

 

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曄歌を1000首詠んでみて

石倉秀樹


 今年1月、わたしは、曄歌を1200首ほど詠んでみました。曄歌は、俳句五七五に想を得て葛飾吟社中山主宰が提唱したもので、俳句とほぼ同等の表現をめざして漢語三四三で作ります。ただし、三四三の句作りは、それぞれの句が短いので、絶句や律詩のように平仄や押韻をことこまかに詮議しなくてもよいとされています。

 しかし、漢詩を書く者にとっては、押韻と平仄の規律、すなわち韻律を無視して句を作るのはかえって難しく、拙作も、わたしが間違えていない限りは、平仄を整え、押韻をしています。そして、韻律を踏まえた書き方を1000首を超えてやってみますと、曄歌は、その淵源に俳句があるとはいえ、俳句とはある種対極的な言葉の操作をしてしまうことがわかりました。

 俳人は、--私自身は俳句が書けませんので推測ではあるのですが--言葉を削りに削って最後に残ったことを五七五に整えるようです。目に見え音に聞こえる事象があり、それに心を動かされる作者がいる。それを余すところなくすべて書き尽くそうとすれば、少なくとも30〜40字あるいはもっと多言の散文となってしまうことがらを、削りに削って五七五とする、それが俳句であるように思えます。

  そのプロセスで、まず作者の心を直接に説明する言葉を真っ先に削り、目に見え音に聞こえる言葉の相乗効果のなかで、作者の心が、読者の想像に堪えうるように浮かびあがってくる、そういう風に言葉を工夫するのが、俳句の有力な手法であるのでしょう。そこで、俳句における「推敲」は、言葉をどう削りどう省略するかだといえそうです。

 もちろんこのような推敲は、同じように短い曄歌でも可能であるかもしれません。しかし、わたしの実作の経験を踏まえるならば、曄歌が言葉を削ることへと向かうことはありません。最初に頭に浮かぶのはこれから詠もうとする一首の断片である数語です。多くの場合それは、上三字、次に下三字、そしてまれに中四字のうちの二字がまず頭に浮かびます。たとえば、櫻を詠もうと思う。

  すると、「賞櫻雲」、あるいは「賞春櫻」、あるいは「傾美酒」、「抱酒壺」、「聽鶯語」などなどの句が頭に浮かびます。そして、次に何を意識するかというと、韻字です。たとえば「賞櫻雲」と歌いだすことを決めれば、「雲」が韻字として決まります。そして、「雲」を韻字と決めれば、同韻の語が頭に漠然と浮かんできます。

  君。春。文。吟。林。村。今。音(中華新韻九文)などなど。つまり、上三字が頭に浮かべば下三字の韻脚となる語の探索が始まり、韻脚となる語が漠然と集まった雲のごとき予感のなかで、中四字をいくつか取捨しながら、下三字へと進んでいく、そういう作り方が開始されるわけです。そして、上三字ができ、下三字の見当をつけることができれば、そのあとで中四字を操作する、そういう順番になることも少なからずあります。

  また、中四字との関係で、下三字は「醉春光」としたい、そこで上三字の「賞櫻雲」の韻字をやむなく変更して「醉櫻芳」とするようなこともよくあります。

 押韻をし、平仄を整える、つまりは漢語の韻律を重視したその瞬間から、曄歌は、言葉を「削る」のではなく、言葉を「捜す」道を進むことになるのです。そこで、曄歌の「推敲」は、言葉を削ることにあるのではなく、よりよい韻字を含む語句を捜すことであり、語句を置き換えることにあるといえます。あるいは、韻字を生かすために、中間の語句を他のものに換える。このことから、実に曄歌ならではの奇妙なことが起こります。

  語句の省略ではなく置き換えである「推敲」がうまくいかない場合に、出来上がった三四三ではどうにも言い足りない、さらに言葉を加えたいという思いに駆られてしまうのです。そこで、上三字に二字を足す。中四字に三字。下三字に二字。すると、三四三が五七五になります。つまり、曄歌が漢俳となるのです。

 また、三四三に四四を足せば瀛歌になります。上三字に一字を足し、中四字の前か後に四字を足せば偲歌。そういう作り変えも容易にできます。言葉を削る方向へと進む俳句の場合、五七五では短か過ぎて言い足りない、そこで、短歌に作りかえるということはあまり起こらないでしょう。しかし、曄歌作りでは、そういう操作はむしろ自然です。

 なぜなら、漢語の詩作りの場合、平仄が整い、押韻が万全でさえあれば、豊かな韻律が保証されるからです。そこで、全体の字数や句数にこだわる必要がないからです。曄歌が漢俳と両立でき、あるいは詩や詞、曲とも両立しうる理由がそこにあります。短くても言い得ていれば曄歌、長くても言い得ていれば漢俳、それでももし言い足りなければ、絶句や律詩、さらには1000を超えて定型詩型が咲き誇る詞曲の花園へと進めばいいのです。

 曄歌は俳句と比べればまだまだ芭蕉以前の黎明期にあります。しかし、漢語の詩詞の豊かな宝である韻律を活用した句作りができるという点が曄歌にとっては何よりの財産であり、それを生かせば、俳句とはまた一味違う詩の世界がそこに開けていくのではないかとわたしには思えます。

 俳句には無言へと向かう美があるようです。しかし、曄歌は、押韻をし、平仄を整えようと決めたその瞬間から、有言の詩へと向かってしまうのかも知れません。なぜなら、押韻も平仄も、何のための押韻であり平仄であるかといえば、その句に書かれた言葉の顔を立てるためではないでしょうか。作者の思いを人に伝えるためだけの言葉であれば、押韻や平仄は不要です。散文でよい。

  それも日本語の文でよい。それをなぜあえて漢語で書き、押韻をし、平仄を整えるのでしょうか。その理由は、漢語で詩を作る者は、言葉が平仄と押韻、すなわち韻律を獲得すれば、響きのよい言霊として自律し、自立することを知っているからだと思えます。

  そして、言葉がそのような言霊のものとなるとき、作者の詩情は個人の枠組みを超える普遍性に到達することができるのであって、そういう場にこそ漢語による詩作りの醍醐味があるのではないでしょうか。この言葉の有言性、言葉自身の自己主張性にこそ、漢語による曄歌作りの有力な可能性があるようにわたしには思えます。