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2004-3/30 漢俳の平仄等について

          石倉鮟鱇

 漢俳は、日本の俳句の句作りを取り入れて5字・7字・5字に作る新しい定型詩で、中国ではかなりの詩人が書いていますが、日本でこれを書く者は、わたしたち葛飾吟社の会員を別とすれば、あまりいないのではないでしょうか。絶句や律詩を書く漢詩人がなぜ漢俳を書かないのか。その理由として、日本人の漢詩人には食わず嫌いが多いのかも知れないといったことがあるのかも知れませんが、いちばん大きな理由は、絶句や律詩の詩譜・平仄にあたるものが、権威ある形で、提唱されていないからではないかと思えます。日本の漢詩人は、平仄なしにはどうやって詩を書けばいいのか、わからないのです。

 漢俳は、前世紀の後半に提唱された新しい定型詩ですから、絶句や律詩のように平仄に即して書かなければならないという規約はもとよりありません。しかし、その規約がないことは、平仄を考慮してはいけないということを意味するものではなく、かりに絶句や律詩の句作りを漢俳に取り入れてみたいと考えるのなら、そのようにしてもよく、現にそういう句作りも数多く見受けられます。そして、その立場、つまり中国古典詩詞の句法をとりいれて漢俳を書いてみようとするとき、漢俳が実は、たとえば絶句にくらべ、とても自由度の高い句作りを可能にする豊かな定型詩であることがわかります。

 以下、古典詩詞の句作りを生かす詩作のうえで、漢俳17字が五言絶句20字にくらべ、どのくらい詩型としてそのパターンが豊かであるかを、見ていくことが、この論の目的です。

 まず五言絶句の詩譜を見てみます。以下の詩譜に示す○は平声、●は仄声。◎は平声押韻です。

 なお、話が複雑になるのを避けるため、ここでは平声押韻の場合のみを論じて仄声押韵には触れません。また、五字句の平仄をめぐっては、平仄不問(応平可仄、応仄可平)である1字目

 3字目の問題、挟み平(下三字●○●)についても本来は論ずるべきですが、同じ理由でここでは触れません。そして、この場合の五言絶句詩譜は、次の4型があるだけとなります。

1.○○○●●,●●●○◎。●●○○●,○○●●◎。

2.●●○○●,○○●●◎。○○○●●,●●●○◎。

3.○○●●◎,●●●○◎。●●○○●,○○●●◎。

4.●●●○◎,○○●●◎。○○○●●,●●●○◎。

 上記詩譜各句の平仄だけに注目すれば、押韻句として、●●●○◎と○○●●◎の2種類があり、押韻をしない句として、●●○○●と○○○●●の2種類があります。

 これらの句はいずれも律句です。ここでの「律」は規律に随って書かれているという意味です。具体的には、2字目と4字目の語の平仄を反対・逆にして対応をとる、2字目が平声の語なら、4字目は仄声の語、2字目が仄声なら、4字目は平声とする、これが5字句を「律」句たらしめる条件です。

 ここで、上記条件を満たすだけなら、●○●●◎、あるいは、●●○○◎という句作りもあることになります。しかし、前者は「孤平」後者は「下平連」と呼んで、避けるべき句作りとされています。そこで、五字句の律句としては、前述の4パターンだけとなります。

 そして、それらの律句をさらにコントロールする規約として、@第2句・第4句は必ず押韻し、第1句は押韻してもしなくてもよい、第3句(転句)は押韻しない、A第1句・2句と第3句・4句の2字目の平仄はそれぞれ反対・逆にする(反法)、第2句・3句の2字目の平仄は同じにする(粘法)ことになっています。そして、律句の規約として、すでに述べたように、2字目と4字目は平仄を反対・逆にするという規約がありますから、反法・粘法は4字目についても適応されることになります。そこで、たとえ律句ですべて書かれていたとしても、次のごとき句作りは絶句ではできません。

5.○○○●●,○○●●◎,●●○○●,●●●○◎。

6.●●○○●,●●●○◎。○○○●●,○○●●◎。

7.●●●○◎。○○●●◎,●●○○●,○○●●◎。

8.○○●●◎。●●●○◎,○○○●●,●●●○◎。

 4個の律句を単純に組み合わせて1詩4行とするのであれば、4×4×4×4=256とおりの詩譜が考えられます。しかし、第2句・第4句は必ず押韻する、第3句は押韻しない、また、反法・粘法の規約もありということで、上記5.〜8.の場合、また、

9. ○○●●◎,○○●●◎,○○●●◎,○○●●◎。

10.●●○○●,●●○○●,●●○○●,●●○○●。

 などの詩譜が除外され、上記1.〜4.のみが絶句の詩譜として成立した次第です。

 一方、漢俳は全体3句であり、絶句4句であればこそ可能となる反法・粘法による平仄の制御は出来ません。出来ない、ということは、それを考慮しなくてもよい、という意味。そこで、かりに漢俳を5・5・5字の3句仕立てとして考えれば、全句押韻の場合として次のとおりの句作りが考えられます。

11.○○●●◎,○○●●◎,○○●●◎。

12.○○●●◎,○○●●◎,●●●○◎。

13.●●●○◎,○○●●◎,●●●○◎。

14.●●●○◎,○○●●◎,○○●●◎。

15.●●●○◎,●●●○◎,●●●○◎。

16.●●●○◎,●●●○◎,○○●●◎。

17.○○●●◎,●●●○◎,●●●○◎。

18.○○●●◎,●●●○◎,○○●●◎。

 第2句は漢俳では七字です。そこで、漢俳にするには、第2句5字の頭に2字を追加しなければならないわけですが、上記1〜4には●●、5〜8には○○の句を頭に付加すれば七言句の律句になります。

 さらに、上記は全句押韻の場合です。押韻する以上、最低2箇所で同韻としなければなりませんが、第1句、第2句のいずれかは、押韻をしないことも可能です。なお、3句は、詩の最後であるから、押韻すべき。

 そこで、上記8個の俳譜は、第1句を押韻しない場合として、●●○○●か○○○●●に置き換えることができます。これにより漢俳の俳譜は、上記8+8×2だけあることになり、さらに第2句を押韻しない場合が8×2ありますので、都合40とおりの俳譜があることになります。5言絶句4とおりに対し漢俳は、40。10倍の柔軟性があります。

 しかし、漢俳が定型詩としてどれだけ豊かなバリエーションを持つかというには、上記比較だけにとどまるものではありません。絶句・律詩と同様に平仄を重視している古典詩詞として宋詞、元曲があり、これらの句法を、漢俳に取り入れることも可能なのです。

 たとえば、絶句・律詩の5言句は、5字を2字・3字に分けて読めるように書かなければなりません。しかし、宋詞では、同じ5言句でも、1・4字に分けて読むように書く場合があります。「酔爛漫春光(爛漫たる春光に酔い)」という句は「酔」と「爛漫春光」にわけてよみ、「酔爛」「漫春光」と読むことはできません。つまり2・3字ではなく1・4字の句です。このような句は、絶句ではありえず、宋詞では可能な句です。そして、この場合の「酔」ように、句頭での独立性の強い字を、宋詞では「領字」といいます。

 領字を含む場合の平仄は、それを除いた残りについて考慮することになります。そこで、「酔爛漫春光」でいえば、第3字の「漫●」と第5字「光○」の平仄を整え、対照とすることが問われます。

 絶句上2下3の句作りでは第2字と第4字、宋詞上1下4の場合は、下4のなかの第2字と第4字、全体でみれば第3字と第5字の平仄が問題となるわけです。

 領字はさらに、1字と限ったものではなく、2字、3字となる場合もあります。とりわけ漢俳では、2字の領字を、第2句に活用することで、より豊かな句作りが可能となると思えます。この場合、漢俳第2句・3句の7・5字を、(2・5)・5と読むことが可能になります。

 秋光催放歌。效顰籬落陶濳菊,楓林杜牧車。

 この作第3句「效顰(真似る)」は、対句である2句「籬落陶濳菊,楓林杜牧車」の双方にかかります。すなわち、籬落に陶濳の菊を真似し、楓林に杜牧の車を真似るという形で使っています。領字がかかる範囲は、もちろんその句のなかで完結してもよいのですが、この句のような形で複数の句にかかるように書くのがよいとされています。ちなみに七字句で領字を用いれば、1・6となり、六字部分は2・2・2に読み、平仄は、○○●●○○または●●○○●●で、句末は押韻してもしなくてもよいと考えられます。

 また、宋詞・元曲の句作りとして、7字句を詩であれば上4・下3に作るのに対し、上3・下4に作る場合があります。たとえば、「賞櫻雲、香雪飛飛」。詩であれば、「酔賞櫻雲香雪飛」と作るところです。このような句作りが可能なのも、漢俳ならではのことです。なお、この場合の上3字は平仄不問、ただし○○○はおそらく避けた方がよく、下4字はそのなかの2字目4字目を軸にして整えることになります。

 以上、漢俳にどう平仄を反映させるかを中心に愚考を述べました。領字や上3・下4を取り入れた場合に、どれだけの俳譜が考えられるかはきちんと表示されるべきかも知れませんが、紙面が足りそうになく、またの機会とさせていただきます。

 

 

1999-10/04
曄歌・坤歌と十字回文詩の照応について
           東京     石倉鮟鱇
 中山逍雀先生ご提案の曄歌あるいは坤歌は、十字回文詩と照応する関係にあることがわかりましたので報告します。

 具体的には、高度の技法を要求される十字回文詩を作るうえで、まず曄歌あるいは坤歌を一定の手順で作れば、その相当に困難な作業が、比較的容易になるというものです。

 はじめに、十字回文詩とはどのようなものか、説明いたします。

 私がはじめて十字回文詩を知ったのは、中山先生がお書きになった「漢詩の技巧」に、中国の葉秀山(私は秀樹ですが)先生の十字回文詩が紹介されていたことによります。

 なお、葉秀山先生の十字回文詩を公けにされたのは、葛飾吟社にも寄稿されている上海の詩豪張聯邦先生です。
 葉秀山先生の十字回文詩は、次のとおりです。
......香.......
.....蓮.長......
....碧...日.....
....水...夏.....
.....動.涼......
......風.......
 この詩の読み方ですが、まず「香」字から始めて時計回りと逆に7字読みます。
 次に4字もどって7字読み「長」字にたどり着きます。
 次に「長」字から始めて時計回りに7字読みます。
 さらに4字もどって7字読み「香」字にもどります。
 この結果、次のとおりの七言絶句になります。

香蓮碧水動風涼
水動風涼夏日長
長日夏涼風動水
涼風動水碧蓮香

 次にこの十字回文詩が、十字の曄歌とどう関係があるかです。
 上記回文詩を、夏の字から時計回りと逆に10字読んでみます。

夏日長香蓮碧水動風涼

 これを、曄歌風に区切ってみます。

 夏日長。香蓮碧水,動風涼。(和訳:夏の日の長きに涼し蓮の風)いかがでしょうか。
 それでは次に、曄歌から十字回文詩に挑戦してみます。
 もちろん、すべての曄歌が十字回文詩になるものではありません。
 十字回文詩は、曄歌・坤歌(季語がない場合)になりますが、その逆は成り立ちません。
 どのような曄歌・坤歌が十字回文詩になるのか、まず平仄と韻の関係、また、読みの順番を考えてみます。

 以下、平字は○、仄字は● 平韻字は◎ 平仄を問わない箇所は△  
曄  歌:     夏日長。香蓮碧水,動風涼。          
平仄・韻:     △●◎ ◎○●● ●○◎           
起句読順:     ・ ・ ・ 1 2 3 4  5 6 7           
承句読順:     5 6 7  ・ ・ ・ 1  2 3 4           
転句読順:     3 2 1  ・ ・ ・ 7  6 5 4           
結句読順:      ・ ・ ・  7 6 5 4  3 2 1

 上の表から、次のことがわかります。

A:平仄を問わない箇所は曄歌・坤歌に展開した場合の1字目だけです。 七言絶句には、二四不同、二六対の規則があります。

 また、七字目は押韻、転句は韻と平仄を変える規則があります。
  したがって、上表の読み順を縦に見て、二、四、六、七をひとつでも含む箇所は、平仄が固定されることになります。

  これにより、上表△の箇所一か所のみが、平仄を問わないことがわかります。

B:韻字が3字あります。これは、七言絶句は、起承結句の3箇所で押韻するためです。
  十字回文詩とするには、曄歌・坤歌3字目、4字目、10字目に韻字を配置する必要があります。
  なお、七言絶句は、起句の韻を仄字に踏み外す場合もありますが、十字回文詩ではそれは許されません。(平字であれば可)

  なぜなら、承句転句に起句の韻字が使われますので、二四不同、二六対の平仄の原則が損なわれ、絶句の体を成さないことになります。

C:上記読み順を横に見て、567となる3字は、上から読んでも、また、下から読んでも、意味が通るものでなければなりません。

  七言絶句は通常、4字・3字にわけて読みますが、567はその下三字を構成するものであると同時に、上表にあるように、必ず123と組 になっています。

  そして、567の順の場合は他の句で321、765の順の場合は他の句で123と読みますので、上表で2または6となる字は、その前後の句とあわせた3字で、上から読んでも下から読んでも意味が通るものようにしなければなりません。

  曄歌・坤歌の字の順番でいえば、2,5,8,9番目の4文字がそれにあたります。
D:Cで考察の対象になった読み順123・567では、「4」のみが除外されています。  4は七言絶句の上四字の4番目ですから、3と密接に関わる字でなければなりま
せん。

  曄歌・坤歌の字の順番でいえば、7番目と10番目の2文字がそれにあたります。
  ただし、10番目は、上記2で、9番目の字とのつながりをつけていますので、ここでは7番目の字だけ注意しすればよいことになります。

 これまでの考察をまとめれば、次のとおりです。
曄歌・坤歌十字のうち、2,5,7,8,9番目の字は、前後の字と関係があり重要です。

 それでは残りの、1,3,4,6,10番目の字はなにか。3,4,10番目は韻字ですから、曄歌・10文字のうち、あまり考慮しなくてよいのは1番目と6番目ということになります。

E:上表の読み順をたてに見ますと、同じ字が何回使われるかがわかります。
 上記の例では、水動風涼が4回、他は2回です。
  また、2回使われる字と4回使われる字は頭から6字と残りの4字との間で、はっきりとグループに分けることができます。

 以上の考察から、十字回文詩に転回可能な曄歌・坤歌の効率的に作成する手順に触れます。
F:曄歌・坤歌8・9・10番目の句●○◎をまず作る。この句は、◎○● と逆に読んでも意味が通じる必要があります。

  なぜこの句からかといえば、この3字はいずれも4回使われるからです。
G:次に、Fの●○◎の頭に●を加え、●●○◎としてみる。この場合も◎○●●と読めるものでなければなりません。

H:Gで加えた●(曄歌・坤歌7字目)を使いながら、曄歌・坤歌4・5・6・7番目の句◎○●●を作る。この句は4・5・6番目について●○◎の順番でも読めるものでなければなりません。

J:最後に、曄歌・坤歌1・2・3番目の句△●◎を作る。
 この句も◎●△と読めるものでなければなりません。
 また、転句では、3・2・1の順番に読んで10字目の◎ともつながります。
 したがって、この句を作る場合は、3・2・1・10番目の順にまず◎●△◎を作り、◎●△が△●◎になればよいことになります。

 以上、曄歌・坤歌は、十字回文詩の作詩にも役立つものであることがおわかりいただけたと思いますが、いかがでしょうか。

  なお、今回は、七言絶句平起式平声韻の十字回文詩について見てみました。
 上表平仄を完全に裏返せば、七言絶句仄起式仄声韻の十字回文詩についても同様のことがいえます。
 ただし、七言絶句仄起式平声韻および七言絶句平起式仄声韻の十字回文詩については、少々事情が異なるかも知れません。

 この点については、またの機会に確かめてみたいと思います。
 最後に拙作一首。



曄歌:遠鳥鳴。清輝落日,映山行。
....清.....
...鳴.輝....
..鳥...落... 清輝落日映山行 (清らかに輝く落日、山行に映じ)
..遠...日... 日映山行遠鳥鳴 日、山行に映じて遠き鳥鳴く)
...行.映.... 鳴鳥遠行山映日 (鳴鳥、山の映日へ遠行し)
....山..... 行山映日落輝清 (山に行けば映日の落輝清し)

 

 

13-1/09
 なぜ唐ばかりなのか    石倉秀樹

 わが国における中国詩の鑑賞は他の国の詩との比較できわだった特徴があります。その第一は、古き時代の詩が尊ばれていることです。

 わたしは学生の頃フランス文学を学んでいました。当時、仲間うちで話題に上った詩人は、ボードレールでありランボーでありヴェルレーヌ、マラルメ、ヴァレリー、アポリネール、アンドレ・ブルトン、ジャン・コクトーなど、フランス19世紀のサンボリズムや20世紀のシュールレアリズムが中心でした。18世紀のビクトル・ユーゴの詩を面白いという学生に出会ったことはわたしにはありません。また、隣りの英米文学に眼を転じても、TS.エリオットやアレンギンズ・バーグなど、いずれにしても近世・現代がしきりに読まれたのであって、今を去る1000年も昔の詩人を読み漁ることは、よほどの好事家でなければ、やらなかったように思います。

 しかし、漢詩の場合はどうか。わたしたちが親しむことができるのは通常李白であり、杜甫であり、王維であり、白居易、杜牧などなど唐の時代の詩人です。さらにとても根強い人気を誇っているのは六朝時代・東晋の陶淵明、今から1600年も昔の詩人です。一方、近世・現代の代表的な詩人といえば毛沢東などがいるのですが、その詩詞集を日本の本屋で見つけることはとても難しい。 どうしてこういうことが起きているのかを考えてみます。まず思いつくところをいくつか列挙します。

1.李白や杜甫や王維など唐の時代はとても素晴らしい詩人を輩出し、彼らの作品の生命力は現代のわたしたちの鑑賞に堪えるものだということをまず最初にあげなければなりません。

 しかし、素晴らしい詩は他の時代にも天の星の数ほどにも書かれているのであって、わたしたちが唐の時代ばかりを漁る理由にはなりません。

2.そこで、わたしたち日本人が好むのは数ある中国定型詩詞のなかでもおおむね絶句・律詩である点を考えなければなりません。わたしたちには中国詩といえば絶句・律詩がすべてだと思っているところがあり、絶句・律詩といえば唐が最盛期・最高峰。そこで唐詩を鑑賞すればよいということになります。つまり、李白や杜甫が優れた作品を残しているから彼らを読むのではなく、絶句・律詩をすべてだと思うから彼らの作品を鑑賞すればよいと思っているわけです。

 ただ、絶句・律詩といえば唐、これは中国の人々の間でも常識らしいから、中国詩の入り口で学ぶうえではとりあえずは正しい判断に思えます。

 しかし、入り口が美しいからといっていつまでもそこに留まるのも問題です。わたしたちの美意識にはとても微細なところがあって、日光陽明門が美しければ、その彫刻や甍をひとつひとつをつぶさに吟味して日が暮れてしまうようなところがないか。

3.わたしたちが日常使っている漢語すなわち漢字の語感は、遣唐使以前の遺産を大切に守り続けていて、そういう語感のなかでは李白や杜甫がもっとも親しみやすいということが起こる。そこで、毛沢東の詩詞よりも李白を読み杜甫の詩について過剰に詮索しているのかも知れません。過剰に、というのは、他にも詩人はくさんいるのに、ことさらに二三の詩人をとりたててまつりあげている、というほどの意味です。

4.次に、日本の漢文学者が怠慢で、宋代以降の中国詩詞の紹介にを割こうとしていない、ということもあるのかも知れません。この結果、たとえば蘇軾の数ある佳作のなかの代表作は「水調歌頭」(詞)であるとわたしは思うのですが、これを知る日本人はとても少ない、ということが起こります。中国では李白の詩は小学校4年の教科書に載っています。そして、蘇軾の「水調歌頭」は、高校生が学びます。日本のフランス文学者はフランスの大学生が学ぶレベルの詩も日本に紹介していますが、なぜか日本の漢文学者はそういうことに、あまり関心がなさそうです。

 つまり遣唐使の遺産で食っているのはわたしたち鑑賞者だけでなく、漢学者も、そうであるのかも知れない。
 唐詩を絶対とする思想は、単に鑑賞者にとどまるものではありません。わが国では作詩者も唐詩を見習うべき規範としています。

 わが国における中国詩詞のきわだった特徴のもうひとつは、外国語である漢語を駆使しみずから詩作に興じる人たちがいることです。数は多くないかも知れないが、英語やフランス語の詩を書く日本人にくらべれば圧倒的に多くの人々が漢詩を書いています。外国語で作品を書くことは、たとえば英語を母国語とするアイルランドのベケットがフランス語で劇作したなどの例がありますが、わが国の漢詩作りの特徴は、必ずしも専門的な文学者ではない庶民もやっていることですから、ほとんど奇跡に近いことが起きているわけです。

 しかし、その奇跡をささえる市井の詩人たちにとっても、唐詩が絶対であることは変わりがありません。おおむね絶句と律詩ばかりを作っていて、宋詞・元曲などの宋以降の中国定型詩詞に挑戦しているのは、わたしたち葛飾吟社を別とすれば、皆無に近いのではないかと思われます。

 どうして唐ばかりなのかをわが国の定型詩、俳句と川柳との比較で考えてみます。俳句も川柳もともに十七音の定型詩ですが、わたしたちはそれを詠まれた言葉の内容によって俳句と川柳にわけ、さらに俳句になりきっていない句や川柳になりきっていない句(つまりは単なる十七音の短文)に分けています。俳句・川柳とそれらになりきれなかった句の区別の仕方をわたしは知りませんが、俳句と川柳をその歌われる内容によって分けるのであれば、それらになりきれなかった句もまた、その歌われた内容によって俳句でも川柳でもない定型詩ということになると思われます。つまり、わが国の定型詩は、句を構成する音数や押韻の有無といった純粋に音韻上の規律によって詩(あるいは句)として認められるものではなく、そこで詠まれる内容によって詩であるかどうかの認知されるものと思われます。

 ここでいう「内容」とは何かをわたしはうまく言葉にできません。ただ、俳句や川柳を詠むうえで、作者と鑑賞者の間の暗黙の了解事項として、俳句らしさ、川柳らしさということがわが国の文化では求められてはいないか。そして、この「らしさ」こそが普通の文と作品としての「詩」をわける基準として機能していないか。わたしが「内容」という言葉で表現したいのは、そのような「らしさ」のことです。この点、いちばんわかりやすいのは、俳句・川柳と十七字の文の比較ではなく、あるいは現代詩と散文の違いであるのかも知れません。

 いずれにしても、この「らしさ」ということを念頭に、わたしたちは俳句・川柳を詠み、現代詩を書きます。そこで、漢詩を書くにあたっては、絶句らしさ、律詩らしさを求めることになります。そして、その「らしさ」は、さまざまな理由から、今から千年以上も前の中国唐の時代に求められています。つまり、わたしたち日本人の漢詩は、わが国の文物でいえばキトラ古墳や高松塚古墳よりわずかに現代に近い時代の詩人の言葉を手本に、日々の感慨を表現しているわけです。

 ただ、キトラや高松塚の壁を飾る顔料は、時とともに色褪せ剥げ落ちるが、言葉の生命力ははるかに長い時の流れを超えます。特に漢字はそうです。また、わたしたちが好んで詠う「自然」は、唐の時代も今も大差ないでしょうから、たとえ唐人を手本としても立派な詩が書けます。そこで無闇に新奇を衒う必要はないのですが、唐人と心中すればよいものではないあたりに、「詩」の難しさがあるとわたしは思っています。

 この「らしさ」を求めるわたしたちの作詩態度がもたらす弊害のひとつを最後に述べます。わたしたちが書く中国定型詩は、絶句・律詩、長いものでは古詩にほぼ限られ、宋詞・元曲を書く者はほとんどいないことは前に述べました。どうしてそうなのかをここで考えます。

 「らしさ」を求めて詩を書けば、そのらしさを構成するさまざまな要素が問題になります。まず、詩の題材となる事物(風流)と詩にするにふさわしくない事物の識別、つぎに詩に使える言葉(雅韻)と使えない言葉の峻別、さらには詩人にふさわしい人柄(風格)の練磨などなど。

 しかしこういうことは、1句7文字4句の絶句を1000も2000も作らなければなかなか身につきません。何が風流で何が風流でないかは唐人の詩をたくさん読めば自然にわかるかも知れないが、詩に使える雅韻を選び、詩では避けるべき生硬な言葉を避けるためには、実作を何年も重ねる修練が必要です。そして、詩人にふさわしい人柄(風格)の練磨は、一生かけても身につかない。

 そこで、限りある人生、ということを思い、佳作を書きたいと思うのであれば、宋詞や元曲のあれこれに手を出すのではなく、絶句・律詩に一心不乱になり、一芸に秀でた方が有利です。

 また、見方をかえれば、「らしさ」を求めつつ宋詞・元曲のあれこれに手を出すのは実行上不可能です。宋詞には600を超える詞牌があるといわれています。これに加えて、詞牌は同じでも異体の譜がある。さらに元曲もあるわけですから、中国の詩詞にはいったいいくつの定型詩があるかといえば、1000を超えるということにもなるわけです。そういう定型詩群れの個々について、俳句と和歌はどう書き分けられるべきなのか、俳句と川柳はどこをどう違えるべきなのか、そういうわれわれ日本人の「らしさ」志向、美意識を適応することは不可能です。「十六字令」と「五言絶句」の違いでわかることは、字数と平仄の譜が違う、わたしたちにわかるのはせいぜいそういう外形がわかるだけで、どういう詩材が俳句あるいは川柳に適し、どういう詩材が短歌や狂歌にふさわしいかなどといった美意識の分割統治は、中国の定型詩のなかでは実現不可能です。かりに、理想形としてそういうものがあったとして、一個の限りある人生のなかで実作者が、それを究めようとすれば、いくら時間があってもとても足りない。わたしは、1999年の春から2001年の春まで2年の歳月をかけて 100の平韻の詞譜・曲譜について詞韻に基いて習作をしてみました。平韻は全部で14部にわかれます。そこで 100×14=1400首作りました。この1400首がかりに全部絶句だとすれば、絶句の「らしさ」についていくらかはわたしなりに体得できたかも知れません。しかし、わたしのやったことは、1詞牌につき14首しか作っていませんので、それで「十六字令」16字と五言絶句20字はどう書き分けるべきであるかとか、 100字前後の「望海潮」と「水調歌頭」とではどうかなど、それぞれの「らしさ」を会得することはできませんでした。1000のうちの 100であり、しかもそのそれぞれの詞牌・曲譜についてはたったの14首、これでは個々の「らしさ」がわかるはずがない。

 しかし、翻って考えれば、なぜ「らしさ」を求める必要があるかという命題にぶつかります。わたしたちが唐詩に学び、唐詩をとりわけ珍重する背景には、李白や杜甫などの優れた詩人を輩出した時代であることもさることながら、「絶句」ならば「絶句」らしく書き、「律詩」ならば「律詩」らしく書きたいということを、単に平仄や押韻、律詩における対句などだれにでもわかる規律を超えて、つまりは詩材や用語を含めて、「唐人」に学び「唐人」のように書きたいからだという信仰めいたものがあると思います。この信仰めいたものこそが「らしさ」であるわけです。

 そこで、何のためにそういう「らしさ」を求め、信心を深めていくのか、ということを反省しなければなりません。一番わかりやすい答えは、そのように書かなければわが国の漢詩界で通用しないという思いがあるからです。そのように書けば、運がよければ、すばらしい詩ですねと日本語で褒めるかも知れない、そういう期待があるからです。「らしさ」を求めるという共同体のなかでわたしたちは、絶句や律詩を書きたいのであって、書きたいことを絶句や律詩にしているのではない。

 つまりわが国では、手段であるはずの詩型が目的化しています。しかもひとえに「唐詩」に凝り固まっている。そこで、現代中国の人々の詩について、日本人の詩にくらべ感興や修辞で劣っていると見る人が少なからずいます。どこが劣っているのか。現代中国の人々の詩では、往々現代中国語や李白や杜甫の時代にはなかった表現が用いられ、われわれ日本人にはなじみがないだけの現代中国人の心情・感興が歌われています。それをもって日本人の詩にくらべ感興や修辞が劣っているというのでは、唐人が現代中国人の感慨や習字を理解できないのといっているようなものであり、加えてわれわれ日本人が、言葉だけ学べば唐人になりきれるのかどうか、という疑問が残ります。わたしたちが唐人と同時代に生きていたのであればまだしも、1000年の遥かな時空を超えて感興や修辞を共有して詩を作ることに、「らしさ」の追求を別として、どれだけの意味あるのか。わたしたち日本人の詩作りに対しては、中国の人々からそのような疑問が呈されるでしょう。そういう質問に、「らしさ」を追求していく立場から、どのように答えるのか。

 1000のうちの 100であり、しかもそのそれぞれの詞牌・曲譜についてはたったの14首ではあっても、詞曲を試みたことによって、世界が少しはよく見えるようになったと思います。1000のうちの一二に過ぎない絶句・律詩の「らしさ」に深入りしても世界は見えない、中国詩詞の大海を目の当たりにすれば、わが国の漢詩界に根強い「らしさ」をめぐるこまごまとした議論や感想の言(とりわけ詩の批評に多い)は、遣唐使が持ち帰った渭水の水を繰り返し浄水器にいれて循環させながら、家伝の呪文を唱える井蛙のひとりごとに近いようにわたしには思えます。

 ところで、大海の水はどうやって飲めばよいのか。気ままなコップ片手に近くに寄せてきた波を汲んで、飲めばよい。そして、たまたま汲んだ波の色が他の波とどう違うかなどと、「らしさ」を詮索しないことです。海の水はきっとからいでしょう。しかし、そういう水を飲めるようになれば、現代中国の人々の詩は日本人の詩にくらべ感興や修辞で劣っているなどという傲慢な批評は二度と口にしなくなるでしょう。そして、真水ばかり飲んでいる井蛙にも、イルカや鯨の心情がいくらかはわかるようになると思います。