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温家宝首相の漢俳披露をめぐって

今田 述

 温家宝首相が経済五団体の歓迎昼食会の席上自作の漢俳を披露されてから、漢俳についてのご質問が多々ありますので、以下、主な疑問点にお答えしておきます。


1.漢俳の法則

 漢俳は、五言・七言・五言の三行で詠む以外、法則はありません。但し、五言、七言、五言の各句は中国語の語法に従って書かれます。そして

(イ)平仄が下三連になるのは避けること。
(ロ)七言句は二四不同、二六同が原則です。

この法則に基づいて五言、七言を組成する過程について、林岫女史は『漢俳首選集』(1997年青島出版社)の中で次のように解説しています。

 周知のように格律詩は、音声の交替で抑揚的なイントネーション効果をあげるための 平仄が必要であるだけでなく、粘対も求められる。漢俳の場合、粘対の必要はなく、三行の律格句はそれぞれ独立している。

  まず、唐代白居易の「劉十九に問う」と宋代の趙師秀の「客を約す」を例にして律格詩の四つの基本的な律格句を見よう。

  五言詩
緑蟻新○酒,   ●●○○●           A
紅泥小火爐。    ○○●●○           B
晩来天欲雪,    ○○○●●           C
能飲一杯無?     ●●●○○           D
○;pei1 没有過濾的酒

 

  七言詩
黄梅時節家家雨, ○○●○○●    A
青草池塘處處蛙。 ●●○●●○    B
有約不来過夜半, ●●○○●●    C
閑敲棋子落灯花。 ○○●●○○    D

  七言と五言の基本的な律格句を比較すれば解るように、頭の二文字以外の部分はすべ て同じであるばかりでなく、律格句間(例えばAとB、BとC)に粘対が要求されるため、排列組み合わせに法則的な変化(絶句と律詩のそれぞれの四つの形に変化できる)を呈している。

  律格詩より漢俳はずっと簡単で、ABCD四つの基本式から自由に三つを取るだけで(重複しても構わない)創作できる。例えば

席地試清齋。            D
松有茸兮海有苔,          B
寶主尽無猜。            D (趙樸初)

籬畔舞姿昂。            D
歌詞出自名家手,          A
和音久繞梁。            B (林林)

藕塘風雨歇,            C
水波溶漾朦朧月。          A
小荷軽綻葉。            C (丘仕俊)

客里人衰歇,            A
黄昏独対梨花雪。          A
不負平生約。            A (鄭民欽)

  このように思うままに組み合わせ、さまざまな形を取ることもできる。言いかえれば漢俳は句ごとの平仄の韻律をよく調和させるだけで、音楽の美的感覚を得ることができる。
  (林岫主編『漢俳首選集』付録『和風起漢俳』)

 

2.漢俳の性格

 如上の通り漢俳の法則は古典詩に比して実に自由です。それよりも大切なのは、漢俳が中国人の一世紀にわたる俳句への憧憬と研究の結果として生まれた詩型であることを忘れてはなりません。俳句が古典詩の形式を保持しながら、現代詩として生きているように、漢俳も格律詩の形式を保持しながら、現代短詩を目指しているのです。

 それは単に古典詩の五言、七言を三行交互に並べるという性格ではなく、むしろ俳句が持っている極端な省略手法や象徴的表現を目指すジャンルと考えられます。
 その性格について、林岫女史は次のように語っています。

 私は常々現代の早いテンポの社会で生活している詩人の感情を表現する、何か一つの 新しい詩型はないかと探していたのです。一九八四年四月、日本の浜名湖で花見をした とき、最初は五言絶句をつくりました。

初試桜花雨,疑忘烟火語。
風来一快襟,翠浪揺春嶼。

 その五言絶句を後に漢俳に直しました。

翠浪揺春嶼,      翠浪 春嶼を揺する,
浅立疑忘烟火語。     浅(しばら)く立ちて 烟火の語を忘れしかと疑う。
初試桜花雨。       初めて試いし 桜花の雨。

 それで、私自身も漢俳が出来たことに驚きを感じました。私は遂に現代詩人の感情を表現する、新しい詩型を発見したということを感じたのです。
 (二〇〇二年于成城大学『林岫講演会記録』)

  中国詩人は日本の俳句に、簡潔ということを学ばなければならないと、私は感じてお ります。一論の花や、一つの秋山などを描く場合は、中国の詩人がなるべくその特徴を全面的につかもうとするのに比べ、日本の俳人は簡潔に一枚の花びらや一枚の紅葉、または一筋の煙や一片の雲をとらえて描くだけで十分であるという、これが日本の俳句の特色だと思います。
  (二〇〇二年于成城大学『林岫講演会記録』)

 確かに林岫女史の五言絶句と漢俳を比較すると、漢俳の方には無駄をそぎ落とした魅力があり、明らかに漢俳の方が優れています。つまり絶句から転句を削り、代わりに「浅立」の二字を当てたところに、俳句的省略の手法が見られます。
 俳句は瞬間を切って落とすような表現を用いますが、林岫女史が例に引いた上記の四首のどれを見ても、絶句の作り方とはどこか変わった、どちらかと云えば日本の俳句を目指した表現が追求されていることが解ります。
 無論、現在多数の中国詩人が詠んでいる「漢俳」の中には、旧体詩の五言、七言を三句並べたような作品が多々見られます。殆どの中国人は俳句がどんな文芸か知らないのですから、それはやむを得ない所でしょう。

 

3.温家宝首相の漢俳

 温家宝首相が、経済五団体の歓迎昼食会の席上、「昨夜出来た漢俳です」と断って次の作品を披露されました。

和風化細雨yu3        和風 細雨と化す
桜花吐艶迎朋友you3  桜花は艶を吐いて 朋友を迎う
冬去春来早zao3     冬は去りて 春来ること早からん

 温首相の訪日のテーマは中日友好路線の回復だったようで、これは正にその感慨を詠み込んだ一首といっていいでしょう。細雨が巫山の雨と同じく、相愛の関係に入ることを象徴していることは論を待ちません。最後の「春来早」の早いは首相の希望的見解であると思います。
 これまでの訪日の為政者が殆ど皆七言絶句で感慨を示したのに比し、今回温首相が漢俳を用いたのは無論相手が日本だからです。日本を代表する文芸としての「俳句」に敬意を表したことは云うまでもありません。もう一つ大事なことがあります。
 今回の温首相の行動は全て同行してきた中央電視庁によって中国各地に同時放映されていたことです。首相が古典詩でなく漢俳を披露したことが、中国国内で放映されても、最早中国民衆に違和感なく理解されたと考えられます。
 漢俳が世に出てから四半世紀が過ぎましたが、今や現代国民詩として、中国国内で市民権を得たと見ていいでありましょう。

 つぎに出席者を代表して辻井喬氏が返詩をされました。挨拶のその部分は次のようになっています。

 「日本には返句という伝統があります。本来ならば安部晋三首相がお作りなるのが筋で しょうが、お忙しいことと思い、私が感謝の意を込めて一句作りました。御不満な点がございましたら手直ししてください。

陽光満街路            陽は街路に満ち
和平偉友来春風    にこやかな、いつも変わらない態度を示される偉い友が春風とともに来る
誰阻情信愛       誰が信愛の情を拒まんや 」

 読み下しは、辻井さんが書いたものらしいのですが、中文の構造からいっても間違っているし、単語の意味からいっても「和平偉友」等おかしい所が有るのはご覧の通りです。このままでは「春風とともに来る」とはならないし、信愛の情は「信愛情」でなければなりません。中国には普遍的な習慣として次韻があるのに「日本に返句の伝統がある。」などと断るのも妙です。それでも日本の為政者が詩を貰って返詩をしないのに比べたら、礼を尽くした辻井さんの行動は賞賛すべきでありましょう。

 漢俳による贈答や返詩は如何にすべきでしょうか。絶句のような次韻の習慣は確立されているとはいえません。しかし、句末の二字位を用いれば、次韻的な感触を採れると思います。
 因みに音韻学者の溥雪○氏にお会いしたとき、氏は漢俳のような短い詩でも、最低二カ所で韻を踏ませておけば、それがお互いに響き合って想像を拡げる効果があるといっていました。原玉がそうなっていれば、次韻を用いることが出来ます。最初に挙げた趙樸初、林林、丘仕俊、鄭民欽の作品などはそうなっていますが、現在では韻を意識しているケースは次第に減っているようです。

 

4.漢俳制作の勉強はどうしたらいいか

 漢俳は俳句に倣った中国の短詩です。勿論俳句ではありません。しかしそこには凡そ一世紀にわたって、俳句を勉強した文化人の努力が集積されています。
 漢俳を始動した長老は鍾敬文、趙樸初、林林の三羽烏です。このうち現在生きておられるのは林林先生だけです。一昨年、漢俳学会が発足したとき、林林先生が名誉会長になられました。会長は次の世代の劉徳有先生です。林林先生は戦前日本に留学した時代から俳句に深い興味を抱いておられました。その理由として次の三つを挙げています。
 第一は俳句が日本の文芸史の中で高い位置を占めていること。第二は現代も広い民衆の中に生きていること。第三は世界の各国に影響を与えていること。
   (林林『扶桑雑記』)

 確かに俳句人口は一千万ともいわれています。然し俳句界は「漢俳」に対して殆ど関心がありません。やっと国際俳句交流協会が昨年十一月、漢俳学会会長の劉徳有氏を招いて講演会をやり、八十人ほどの聴衆が集まりました。しかし漢俳を作ってみようという俳人は見当たりません。

 漢詩結社もどちらかというと漢俳に対しては冷淡でした。しかし温首相のスピーチを機会に、今後は漢俳をやってみようという人が増えて行くかも知れません。現在漢俳の制作をやっている結社は葛飾吟社ぐらいしかないかも知れません。

 葛飾吟社(主宰中山栄造)は中国の詩壇と密接に関係してきた詩詞団体です。毎月東京お茶の水で例会を開き機関誌『梨雲』で会員の作品を発表しています。ホームページがありますのでご覧下さい。中国には漢俳専門の雑誌『漢俳詩人』(長沙市・段樂三主宰)があります。

 葛飾吟社はこことも密接な関係を維持して来ています。漢俳の制作・研究は目下の所、このような専門団体に所属するしかないようです。日本語による解説書はまだ出版されていません。ただ俳句雑誌では『陸』(中村和弘主宰)が、すでに二年にわたって『漢俳入門』(今田述)を連載しています。             
       (二〇〇七・五・四)

詩法の解説は漢詩詞創作講座をご参照下さい。

漢俳に限っては此方をご参照下さい。